学生時代に力を入れて取り組んだことは自炊です。

一般人です。自身の経験をもとに回顧していきます。

受験に失敗したときに親からかけてもらった言葉が今でも心に残っている。

過去の一場面がフラッシュバックしてくるという経験は多かれ、少なかれ誰にでもあることだと思う。

当然わたしにも今もよく思い出される瞬間がある。

 

今から5年ほど前の事になるが、当時私は浪人生活を送っていた。一年間の予備校での浪人も終盤に差し掛かり、受験校での試験をほぼ終えたところだった。

 

結果はというと、行きたかった大学には全落ちし、もはや箸にも棒にも引っかからないという状態。後期で受験する大学を除いては、合格可能性も低く、毎日のように不合格の連絡が届いていた。

 

前期で受けた大学も不合格となり、もう後がない状態。後期入試は合格枠が少ないため、ほとんど2浪目が決まったも同然だった。

 

当然のように気分は憂鬱で、生きたような心地がしない毎日。毎朝起きると、落ちたことに絶望していた。朝起きるのがつらい、逃れられない現実が目の前にあるのが辛い。

 

なぜ受からなかったんだろうという考えが頭から離れなかった。

 

あれほどまでに勉強したのに。朝起きて、夜寝るまでずっと勉強をし、努力の量だけならだれにも負けないと胸を張って言えるぐらい勉強をした一年だった。

 

もうどうすればいいんだ、これほど勉強して受からないならもう自分は大学には行けないんじゃないか、そんな思いでいっぱいになり、もう一年浪人した所で行きたい大学に行ける保証なんてどこにもなかった。

 

そんな時、父親が私の様子見がてら、東北の実家から東京の私の家にきた。

 

実は私の父親は私と同じように二年間浪人をしている。大学卒業後は、実家近くで家業を営む経営者として働いていた。

 

あれはそんな父親と昼ごはんを食べに出かけた時の事だったと思う。交差点を渡り終わるところで父は私に行った。

 

「これからの一年は君の人生にとって宝物になるだろう」

 

意気消沈していた私は、ぼんやりとそんな言葉を聞いていた。

宝物か…

何となく、心が晴れやかになったような気がした。

 

 

父親はその当時、経営している会社があまりうまくいっていなかった。

日がたつごとに憔悴している姿を見ていた。精神科に通院するほど、疲労を抱えていたらしい。

 

そんな父親が、一浪してどこにも受からないような私に上の言葉をかけてくれたのである。これからもう一年、息子が浪人しても受かるかどうか分からない、自分の会社の未来すらも分からない時期にである。

 

今思い返すとあの時期のことはあまり詳しく覚えていないが、その言葉を言われた瞬間、場所、光景はまざまざと今でも蘇ってくる。

 

その後、私は後期で受かった大学に進学するも、仮面浪人をすることになる。二年目も浪人をするという決断を取ったということである。

 

仮面浪人期間中も、とてもつらかった。

仮面浪人をしても大丈夫なのか、もう一年やって受かる保証なんてない、なんで私だけこんなにつらい思いをしなければならないのか

 

いろんな思いが、押し寄せては心をかき乱していった。

電車の中で涙があふれたこともあった。

友人がSNSにあげた成人式の写真を見て、家で泣いたこともあった。

 

過言ではなく、一年のうち、泣かなかった日の方が少なかった。

 

そんな辛く、苦しい孤独な闘いの中でも

「この一年は私の人生にとって宝物になる」という一言が人生の羅針盤になってくれていた。

 

仮面浪人が終わった今、思い返せばあの経験は、どんな出来事よりも私の価値観を形成してくれている貴重なものだったなと思う。

 

これからもこの一年は自分の人生に大きな影響を与えてくるのだろう。

他の人から見れば、余計な期間なのだろう。でも私にとっては貴重で、意味のある一年だったのである。

 

何か苦しいことがあるごとに、この時の経験は思い返す。

ああ、あの一年は私の人生にとって宝物の一年となっているのだと。